ナポリ民謡は日本人にはかなり昔から親しみのある洋楽のひとつ。小学校から音楽の教科書に紹介されて、またテレビのコマーシャルからも自然に耳に飛び込んでくるものであった。“オーソレミオ”、“帰れソレントへ”、“サンタ・ルチア”などが世界中に知られたカンツォーネの代表であり、まさしくイタリアを形容するひとつであった。
誰にでも親しみのある音楽はいとも容易く歌うことができそうであるがそれは違う。簡単ではない。言葉が難しいのである。じっくり聴くもわからない。イタリア語はローマ字読みなので歌うは簡単と思われがちであろうがそうは問屋が卸さず、ナポリ弁(ナポリ語)となるとそれはまた別次元の話になる。タクシーの運転手やホテルのフロントとのコミュニケーションには問題なく不自由はない。
こちらが尋ねていることにはわかりやすくイタリア人として対応してくれる。しかしナポリ人社会に入り込み聞き耳を立てても何一つわからない。そこは別世界である。はじめての国に足を踏み入れた、はたまた異星人に拉致されてそこで交わされる会話を聞いているそんな感じであろうか。アラブ人の会話を傍で聞いているようなものである。
そのようなナポリの言葉なので地元出身者でないイタリア人の歌うカンツォーネも信憑性に欠けるものが多いのであるが、その日本人の歌うナポリの歌は秀逸なのである。
コンサートは二晩の連続で行われた。ナポリの中心、大聖堂のある道を少しばかり北に上った辺りにあるサン・セヴェーロ・アル・ペンディーノという、以前教会として使われていたところを展示施設として再利用し、そこにコンサートのできる小規模の広間があってそこが今回の交流コンサートの場となった。
まず、日本舞踊を細かい解釈を入れてナポリ市民に観てもらい、つづいてコンサートという二本立てで行われておよそ2時間の舞台となった。
マンドリンアンサンブルの伴奏に合わせて日本人バリトンがナポリ民謡4曲、日本歌曲3曲をつづけて奏する。ナポリ民謡をネイティブな発音で聴くものを鼓舞するように情熱的に歌い、また日本の情緒でありややノスタルジックな山田耕筰“この道”、武満徹“小さな空”、そして滝廉太郎の“荒城の月”を朗々と歌い上げる。
観客が喜ばぬはずはないというほどの素晴らしい演奏。終演後のアーティストを取り囲み、「どうしたらあんなに完ぺきにナポリの歌を歌えるんだ!」というような称賛が飛び交う。ナポリ、鹿児島間のみならず国レベルの文化交流がうまく終了した歓びを感じている。
堂満尚樹(音楽ライター)

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