
『蜜蜂と遠雷』
発売中
著者:恩田 陸
出版社:幻冬舎
価格:1,800円+税
3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。ここを制する新たな才能の出現は、音楽界の事件となっていた。養蜂家の父と共に各地を転々とし、自宅にピアノを持たない少年・風間塵。かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇し、CDデビューを果たしながらも13歳で母と死別したことをきっかけに、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜。楽器店勤務の音大出身サラリーマンで、コンクール年齢制限ギリギリの高島明石。完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール。彼らをはじめとしたあまたの天才たちが繰り広げる“競争”という名の自らとの闘い。第1次から3次予選、そして本選を勝ち抜き、優勝するのは誰なのか?
ピアノコンクールを通して描かれる
音楽家たちの成長と葛藤
なぜ、弾くのか。原点を見つめ直すヒューマンドラマ
「ピアノコンクールを題材にした小説が直木賞を受賞した」、このニュースが世間を騒がせたのは2017年の初めの頃。当然ながら、小説というのは文字情報しかありません。「一体どうやってピアノコンクールの様子を描いているのだろう?」と、素朴な好奇心から本書を手に取ったという人も少なくないでしょう。実際、本作を読んで音楽表現の幅広さには驚かされるばかりでしたが、本質的な題材はピアノコンクールそのものではなく、それに挑む人々の内面であると気付かされます。主な登場人物は、コンテスタントである4人。おのおのが葛藤と、少しの希望を胸に抱いてこのコンクールに参加しています。
主人公格である亜夜は、幼少期から頭角を現していたものの、母の死をきっかけに音楽との向き合い方を見失ってしまった“元”天才少女。自分の進むべき道を見極めるための最後のチャンスにしようと、芳ヶ江国際ピアノコンクールへの出場を決意します。腕前は健在で、第2次予選ではリスト<超絶技巧練習曲 第五曲 鬼火>なども見事に弾きこなしますが、彼女の音楽に陰りを見せている大きな要因は、彼女の“迷い”そのもの。しかし、音楽を純粋に愛してやまない塵との交流が彼女に劇的な変化を与えることになるのです。その結果、亜夜は第3次予選で、純粋に音楽を楽しんでいた幼少期の彼女が重なって見えるような、ドビュッシー<喜びの島>を演奏します。
一方、サラリーマンとして家族を支える明石は、飛び抜けた才能こそないものの、生活の中で育んだ“親しみのある音楽”が自分の武器だと信じてコンクールに挑みます。そんな彼の真骨頂が発揮されたのが、第2次予選の新曲課題<春と修羅>。懐かしさを感じさせながらも運命を切り開こうともがき、明石の芯の強さも表現されたカデンツァ。それは観客の心をつかみ、「奨励賞」と「菱沼賞」に選出されることとなりました。
はたまた、ミスのない緻密な演奏と音楽性で周りを圧倒するマサルは、“完璧さ”だけを求められていることへの葛藤があります。型破りながら聴衆を引きつけてやまない“天才”である塵もまた、「一緒に音を外に連れ出してくれる人」を求めてこのコンクールに参加しているという背景があり、そういった一人一人のドラマが化学反応を起こし、読者も巻き込みながら大きなうねりとなって進んでいきます。読み終わるころには、自らも会場で演奏を聴いていたかのような、疲労感と多幸感に満たされる、そんな作品です。
ショパン国際ピアノコンクール
世界最高峰のピアノコンクールの一つとして知られるショパン国際ピアノコンクール。
5年に一度、ショパンの命日(10月17日)前後の約3週間にわたり開催される。過去には、マウリツィオ・ポリーニ、マルタ・アルゲリッチ、クリスティアン・ツィメルマン、スタニスラフ・ブーニン、ダン・タイ・ソン、ユンディ・リなど、現在も一線で活躍するピアニストを輩出(いずれも優勝)。最近の優勝者では、ラファウ・ブレハッチ、ユリアンナ・アヴデーエワ、チョ・ソン・ジンらが世界で活躍中。会場となるフィルハーモニーホールは、わずか座席数1069席。ここで連日ショパンの作品が演奏される。
漫画・アニメ「ピアノの森」でも取り上げられるなど、ピアノファンのみならず幅広いファンが増えている。